どうも、まったり管理人です。
「ゾンビ映画だと思って観たら全然違うものが出てきた」——正直に言うと、第一印象はそれでした。北マケドニアという聞き慣れない国が製作した映画『М(エム) 絶望の世界』。パンデミックで荒廃した世界を舞台に、森で出会った2人の少年の旅を描くサバイバル作品…という触れ込みだったんですけど、ゾンビはほぼ出てこないし、セリフもほとんどない。前半は退屈の一言でした。
でも、観終わった後にじわじわ来るんですよ、この映画。特にマルコの父親の行動を振り返ったとき、「ああ、あれは全部愛情だったのか」と気づいて、ちょっと胸が痛くなりました。
この記事ではストーリーの結末まで踏み込んで書いています。未見の方はご注意ください。管理人はゾンビ映画・ディストピア映画が好きなジャンルですが、本作はそのどちらとも違う独特な映画でした。
⚠ この記事はネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。
『М(エム) 絶望の世界』作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| タイトル | М(エム) 絶望の世界(原題:M) |
| 製作年 | 2023年 |
| 製作国 | 北マケドニア・クロアチア・フランス・コソボ・ルクセンブルク合作 |
| 日本公開 | 2025年1月3日(「未体験ゾーンの映画たち2025」にて上映) |
| 監督・脚本 | ヴァルダン・トジヤ |
| 上映時間 | 103分 |
| 配給 | プルーク |
| Filmarks | ★2.7(約147件) |
北マケドニアはバルカン半島の小国で、マザー・テレサの出身地として知られる国です。映画産業はヨーロッパでもかなり小規模で、日本で劇場公開されること自体が珍しい。「未体験ゾーンの映画たち」という企画上映だからこそ観られた作品ですね。製作国にルクセンブルクが入っているのは、ヨーロッパ映画でよくある税制優遇を活用した資金調達の仕組みで、内容やロケ地とは直接関係ありません。
キャスト
| キャラクター | 俳優 | 備考 |
|---|---|---|
| マルコ | マテイ・シヴァコフ | 主人公の少年 |
| マルコの父親 | サスコ・コチェフ | 厳格だが不器用な父 |
| ミコ | アレクサンダル・ニコフスキー | マルコが出会う少年。ダウン症 |
| その他 | カムカ・トチノフスキ ほか |
日本ではほぼ無名のキャストですが、マルコ役の子役の演技は見応えがありました。
あらすじ(ネタバレあり)
ここからはストーリーを結末まで書きます。
前半:森の中の閉ざされた生活(正直、寝そうだった)
マルコは森の奥深くで、厳格な父親(以下、マルコパパ)と二人きりで原始的な生活を送っています。外界との接触は一切禁止。マルコパパは「森の外には悪党がいる」と繰り返し、マルコを森から出さないようにしています。マルコにとっての世界はこの森だけで、ヘッドホンで聴く音楽と「葉っぱの子」という絵本だけが心の拠りどころです。
ここで重要な背景があります。マルコには母親(以下、マルコママ)と姉がいましたが、このディストピア世界が始まったときに、マルコママは娘(マルコの姉)を守るためにマルコとマルコパパを残して出て行ってしまったのです。つまりマルコパパは妻と娘を失い、残されたマルコだけは何としてでも守るという覚悟で森に籠もっている。
ただ、その「守る」の表現がとにかく不器用。愛情表現が下手すぎるんですよ、このパパ。厳しく接することでしかマルコを守れないし、なぜ森を出てはいけないのかも具体的に説明しない。結果、マルコからは嫌悪感を持たれてしまう。ここの描写は実はかなりリアルで、「言葉で伝えられない不器用な父親」というのはフィクションを超えて現実にもよくいる。ただ映画としては、このパートがとにかく長い。103分のうち半分近くをここに費やしていて、セリフもほとんどないまま進行するので、正直なところだいぶ寝そうでした。
ミコとの出会い
そんなある日、マルコは森の中の廃車で母親と暮らす少年ミコと出会います。ミコはダウン症の少年で、マルコとは対照的に母親から深い愛情を受けて育っています。
マルコはミコとすぐに仲良くなり、マルコパパの目を盗んでちょこちょこミコに会いに行くようになります。母親のいないマルコにとって、ミコの母親の存在は「自分が知らない愛情の形」を見せてくれるもので、ここでマルコの孤独が少しずつ癒やされていく。二人で「妖精」を探す遊びをするシーンは、荒廃した世界の中に小さな温かさがあって、映画の中で唯一ほっとできる時間でした。
転換点:ゾンビの襲撃とマルコパパの死
物語が大きく動くのは後半です。マルコとミコが一緒に遊んでいるところにゾンビ(凶暴化した感染者)が現れ、二人を襲います。車の中に避難してやり過ごそうとしていると、マルコパパが助けに来てくれます。
悪い父親じゃないんですよ、マルコパパ。この映画で一番もどかしいのはここで、普段の愛情表現は壊滅的に下手なくせに、こういう瞬間には命がけで息子を守りに来る。この辺の描写は悪くないんです。ちゃんと「不器用だけど愛している父親」として筋が通っている。
ただ、マルコとミコを助ける過程でマルコパパがゾンビに噛まれてしまいます。自分が感染して変異する前に、マルコパパはマルコに逃げるよう指示し、自ら命を絶ちます。
ここがこの映画の感情的なピークだと管理人は思っています。散々「この父親は嫌だ」と感じてきたマルコ(そして観客)が、父親が最後に見せた覚悟で「ああ、全部愛情だったのか」と気づかされる。でもその時にはもう遅い。伝わらなかった愛情が、死によってようやく伝わるという残酷な構図です。
後半:森の外の荒廃した世界
マルコパパを失ったマルコは、残されたミコを連れて初めて森の外に出ます。絵本に出てくる「妖精」を探すという名目ですが、実際にはマルコママを探す旅でもあります。
ここでようやく外の世界の実態が明らかになります。パンデミックによって社会は完全に崩壊し、廃墟と化した街が広がっている。ただ、ゾンビとの派手な戦闘シーンはほぼ皆無で、二人の少年が荒廃した風景の中を静かに彷徨う詩的な映像が続きます。マルコの「葉っぱの子」のポエムのような独白が重なる演出は、好みが完全に分かれるところですね。
ラスト:かすかな希望、しかし代償は大きい
終盤、マルコとミコは凶暴化した感染者や自警団的な集団に囲まれます。絶体絶命の状況で、英語を話す軍の部隊が現れてマルコを救出します。
ただし、ミコがどうなったかは明確に描かれません。レビューでは「ミコは助からなかった」と解釈する声が多く、管理人もそう読みました。マルコだけが生き残り、母親(マルコママ)は見つからないまま。ただ、マルコは「妖精」——つまり自分を守ってくれる存在——を見つけたとも解釈できる結末になっています。
ラストには政治的なメッセージが唐突に挿入されます。この映画がバルカン半島の紛争・難民問題のメタファーとして作られた可能性を示唆する演出で、ここは正直「え、急にそっち?」という感じでした。
タイトル「M」の意味
マルコの手首には「M」の刻印があります。「M」はマルコ(Marko)の頭文字であると同時に、マザー(Mother)の「M」でもあると考察されています。母親を知らないマルコが、母の愛を探す物語。映画は最後までこの「M」の意味を明言しません。何か印があるみたいなことを言っていましたが、結局ウイルスに耐性がある子が持っている印なのか、はたまた別の意味があるのかは最後まで謎のままです。
管理人の感想レビュー
個人的バイアスの開示
管理人はホラーはあんまり好きではないですが、ゾンビ映画・ディストピア映画は結構好きなジャンルで、「ウォーキング・デッド」シリーズや「28日後…」「アイ・アム・レジェンド」あたりは好んで観てきました。なので本作にもそういうジャンルとしての期待を持って観ています。それを踏まえての感想です。
総合評価
| 項目 | 評価 | ひとこと |
|---|---|---|
| ストーリー | ★★★☆☆ | 父と子の物語としては悪くない。ただし説明不足が多すぎる |
| 演技 | ★★★☆☆ | 子役の演技は健闘。父親役も「不器用な愛情」を体現 |
| 演出・映像 | ★★★☆☆ | 荒廃した風景の美しさはある。ただテンポが致命的に悪い |
| 音楽 | ★★☆☆☆ | ほぼ無音に近い。印象に残る音楽はなし |
| 感情 | ★★★★☆ | マルコパパの死のシーンだけは刺さった |
| 独創性 | ★★★☆☆ | 子ども視点のゾンビ映画は新鮮だが、活かしきれていない |
| 総合 | ★2.8 / 5.0 | 刺さる人には刺さる。ただしゾンビ映画として観ると裏切られる |
「不器用な父親の愛情」だけは刺さった
この映画でFIlmarks★2.7、管理人の評価も★2.8。数字だけ見れば「観なくていい映画」に分類されるんですけど、一つだけ強く心に残ったポイントがあります。
それがマルコパパの愛情表現の不器用さです。
妻と娘に出て行かれ、残された息子だけは守ると決意した男が、その「守り方」を致命的に間違えている。森に閉じ込めて、厳しく接して、外の世界を見せない。やっていることは正しいんですよ。パンデミックの世界で子どもを守るためには、外に出さないのが合理的な判断です。でも、その「なぜ」を息子に伝えない。愛情を言葉にできない。結果、息子からは嫌われる。
管理人はこの構図に妙なリアリティを感じました。フィクションの設定を取り払えば、これは「言葉で伝えられない父親」の話でしかない。そしてマルコパパが最後にゾンビに噛まれて自ら命を絶つシーン、あの瞬間にようやく「全部愛情だった」と観客が気づく構成は、この映画で唯一、見事だったと思います。
問題は、そこに至るまでが退屈すぎることなんですけどね。
テンポの悪さが致命的
うーん、正直テンポが悪すぎるのは否めないですね。
前半はほぼセリフなしで森の生活が延々と描かれ、マルコが「葉っぱの子」のポエムを語る。雰囲気は悪くないんですけど、103分の映画で半分をここに使うのはさすがに長い。ゾンビはほぼ出てこないし、パンデミック世界の全貌も説明されないし、「何を観せられているんだろう」という時間が長すぎます。
ゾンビ映画として期待して観ると、確実に裏切られます。これは「パンデミック後の世界を子どもの目線で描いた詩的なロードムービー」であって、アクションもスリルもほとんどありません。そこを理解したうえで観るならまた違う感想になるのかもしれませんが、管理人は事前情報から「サバイバル・パニック」を期待していたので、そのギャップは大きかったです。
説明不足が多すぎる問題
もう一つ気になったのが、説明不足の多さです。
なぜパンデミックが起きたのか、なぜマルコの手首に「M」の刻印があるのか、マルコママはどこに行ったのか、ラストの軍の部隊は何者なのか。どれも明確な回答は与えられません。「観客の解釈に委ねる」と言えば聞こえはいいですが、委ねすぎです。せめて「M」の意味くらいは映画の中で回収してほしかった。
ラストに唐突に政治的なメッセージが入るのも引っかかりました。バルカン半島の紛争や難民問題のメタファーだったのかもしれませんが、それなら序盤からその文脈を仕込んでおくべきで、最後の最後にいきなり出されても「え、急にそっち?」としか思えなかった。
それでも、嫌いになれない映画
ここまで文句を書いてきましたが、不思議と嫌いになれない映画でもあります。
マルコとミコが森の中で「妖精」を探して遊ぶシーン、荒廃した世界の中で二人の少年だけが純粋さを保っている対比、そして不器用な父親が命がけで息子を守るシーン。部分部分を切り取れば、心に残る瞬間はちゃんとある。
問題は映画全体のペース配分と説明の不足であって、「描きたかったこと」自体は悪くなかったと思います。もう30分短く、もう少し説明があれば、印象はかなり変わっていたはず。素材は良いのに調理を間違えた映画、というのが管理人の正直な感想です。
こんな人に向いている(向いていない)
向いている人:雰囲気重視のアート系映画が好きな方、子どもの視点で描かれたディストピアものに興味がある方、「不器用な父親」というテーマに心当たりがある方。
向いていない人:ゾンビ映画のアクションやスリルを期待している方、テンポの良い映画が好きな方、ストーリーの説明がしっかりある映画を好む方。
Filmarks★2.7という数字が物語っている通り、万人向けではありません。ただ、レビューの中には「ラストで泣けた」「静かに愛を描いた作品」という声もあって、刺さる人には深く刺さるタイプの映画です。管理人は正直なところ「もう一度観たいか」と聞かれたら微妙ですが、マルコパパの最後のシーンだけは、ふとした瞬間に思い出しそうな気がしています。
とまあ、映画『М(エム) 絶望の世界』のレビューはこんな感じで。では、また。


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